2231(仮) 第七話

 向かいの席で惣菜パンに食らいついていた駿は、あっという間に三つ、四つ平らげると、プロテイン添加の乳製飲料に手を伸ばした。何も出ない司法解剖を終えた古谷から、立派な右腕を引き継いでいる。手術痕も綺麗に消して接合できるのに、スキンの色調整もせず、半袖から覗く右腕には違和感しかなかった。

「高二の男子が、その弁当でよく足りるな」

 彼は、肉っけも赤色も少ない弁当を見ながら言った。早弁に追加のパンを食べる彼ほどではないが、食欲はあるし、腹も減っている。それでも、僕の箸は次を迷って動かない。以前なら、僕の意見など気にすることなく、横から箸や指を伸ばしておかずを横取りする奴だったのに、今日は黙って紙パックのボトルに口をつけている。

「お前が食い終わらないなら、テッちゃんだな」

 彼は食事後のゴミをまとめ、空いた手に自前のグローブを二つ持って立ち上がった。テッちゃんは多分、部室で昼食を食べているところだろうから、ココにはいない。駿は、「なんだ、いないじゃん」とゴミ箱まで行って帰ってくる。

「江辺野もスポーツできるんだっけ?」

 アスリート向けに調整された彼と、プリミティブな人間の彼女とでは、軽いキャッチボールであっても無理がある。腕を付け替えて、休部中かつ調整中で野球部内の面々とやり取りしにくいのは分かるけど、何を考えているのやら。

「稲荷と嶋田も誘って、親睦深めとかないと」

「グローブが足りないじゃん。発想も古臭いしさ」

 歴史の資料で、昼休みにバレーボールをやってたサラリーマンとか、OLのいかにもな映像を見せられたこともあるけど、二百年も前の話だ。キャッチボールで仲良くなろうなんて、前時代的すぎる。

「お前が相手してくれれば済むんだよ。いいから、早く食えって」

 目の前で圧をかけられながら、駿に急かされたところで、箸が進むわけではない。身体に良さそうなおかずを彼に分け、白米と梅干しはなんとか食べ切った。キャッチボールをする時間は残らなかった。

 駿は不満そうな表情を浮かべ、自分の席へ戻って行った。昼休み明けは、淡々と板書させられる世界史の授業。腹を満たされた高校生は、まともに授業を受けることなく、そこら中で机に突っ伏していく。平穏な日常に、戸惑いと安心とが混在していた。

 人通りの少ない校舎の裏で、駿の投げた球を受け止めた。変なところへ投げて窓を割らないよう、気を配りながら投げ返す。左右には外れなかったものの、大きく上へ逸れてしまった。駿は「何やってんだよ」と言いながら、後逸したボールを拾って、その場からこちらに投げて来た。そこそこ力強い球が、胸元にスッポリ収まった。グローブを付けていても、まあまあ痛い。

 駿は元の場所へ戻りながら、グローブを胸元に構える。

「胸を狙って投げろよ。昔、散々やっただろ?」

 強引に参加させられた少年野球チームの練習、個人的には思い出したくない思い出の一つではある。彼はそのまま野球を続け、僕はフライをまともに取れないまま、さっさと辞めてしまった。

 姿勢制御、落下地点予測の処理は悪くないはずなのに、普通の人間より劣る身体能力は何故なのか、親にも自分にも分からない。数学があまり得意でないことと関係があるんだろうか?

 余計なことを考えながら投げた球は、再び真っ直ぐは行かず、真っ当な部活動でいっぱいの、グラウンドの方へ逸れてしまった。窓を割らずに済んで、ホッとしている。

 今までであれば、さっさと帰宅して、もうそろそろ妹の迎えに行かなければいけない時間。ばあちゃんの面倒を見なくても良くなったら、妹の世話も母の手で賄えるようになってしまった。ヤングケアラーのお役御免は、嬉しい反面、寂しさもちょっぴりある。

 正体不明の申し訳なさを、駿のキャッチボールに付き合うことでどうにかしようとしている。自分から積極的に関わって、負担じゃないつもりだったけど、解放された爽快感、自由の充実さも隠しようがないぐらいに感じている。

 ボールを拾って戻って来た駿は、「付き合わせて悪かったな」と僕に貸し出したグローブを受け取りに来た。

「放課後にダラダラキャッチボールするのも、良いもんだな」

 駿と共に、駐輪場へ向かう。

「無理に付き合わせて、悪かったな」

 駿は僕の顔を見ながら言った。

「身内と友達じゃ全然違うけど、お前の気持ちはよく分かる」

 僕は頷き、「ありがとう」と言った。

「良い気分転換になったよ」

「無理だけはするなよ。お前も大事な友達なんだからな」

 駿は自転車に跨ると「気をつけて帰れよ」と颯爽と通用門を出て行った。帰り道も途中まで一緒なのに、さっさと一人で帰るところがとても彼らしい。駿の気遣いに心の中で感謝しつつ、外周を走る運動部員に注意しながらペダルを漕いだ。

 いつもより遅い時間に帰っても、夕方の家事はしなくていいし、ばあちゃんの通院だの、真珠の世話だのの段取り、時間のやりくりにヤキモキしなくてもいい。母さんが家にいて、灯りが多いだけなのに、非常な幸福を感じている。

 弁当を出してカバンを持って自室に入る。カバンを置き、部屋着に着替えて洗面所で両手を洗ったら、真新しい仏壇に両手を合わせる。遺骨も遺品も何もないのに、遺影と形だけは立派なソレに、こちらも形だけ整えて心の中でばあちゃんに挨拶した。

「お肉とか、トマトとか、まだ避けた方がいい?」

 弁当を洗いながら、母さんが訊いて来た。どうやら僕以外は、もう平気でそういうものを食べられるらしい。あんな光景を目にして、それほど日数も経っていないのに。僕の神経、処理系統がおかしいのだろうか。

「オレのことは気にしないで。面倒でしょ」

「面倒は面倒だけど……」

 まだ何か言いたそうだった母さんを無視して、僕は自室に引き上げた。

 机の上には、米利刑事からもらった例の本が、本棚に収まらないからと平置きにしてあった。横の小さな引き出しには、例のラムネボトルと真境名から受け取った鍵がしまってある。どちらの正体も、未だによく分からない。

 どこかのロッカーの鍵ではなさそうだし、刻まれている型番を検索してみても、それらしい物は見当たらない。

 なんでも出来る荒唐無稽な舞台装置を名乗る割には、シナリオがあまりにも雑すぎるのではないか。脚本家、演出家を気取りたいなら、もっと的確なヒントを出して欲しい。

 あまりにも独善的な筋書き、示威行為のために、身の回りの同級生とばあちゃんが犠牲になった。入駒も古谷も、ばあちゃんみたいに身体中から体液を吹き出して亡くなったのだろうか。電子を融通するナノマシンが空気に触れて赤茶色に変色する様は、今思い出しても吐き気がする。

 これで今日も、晩御飯は大して喉を通らない。目の前にある材料をヒントに、少しでも前進しないと、心身ともに参ってしまう。真境名ならそれも許さないのだろう。

 ああでもない、こうでもないと一人で考えていると、ケータイに通知が届いた。江辺野さんから、大学附属病院の研究室に来ないかという、お誘いだった。彼女のお父さんが職員をしているというのは、聞いたことがある。

「悩んでる暇があるなら、今すぐ来い」

 彼女からのメッセージは明確だった。僕は財布と例の鍵をカバンに詰め、ケータイを握りしめて部屋を出た。もうすぐ夕飯だという母さんに、「晩御飯はいらない」と返して家を出た。

 次の週末には返す予定の、通院用の車に乗り込み、附属病院の行き先を入力する。薄暮の住宅街を抜け、江辺野さんが待つ研究室へ急いで向かった。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。