2231(仮) 第八話

 江辺野さんは、年季が入った大きな本を開きながら、同時にA4サイズのタブレットを操作して、積極的に見たいとは思えない画像を僕に見えやすいよう拡大してくれた。見るも無惨な人の死体。二十世紀後半頃に撮影された記録らしい。

 江辺野さんは、同じ写真を逆さまに覗き込みながら、低い声で「う〜ん」と唸った。

「やっぱり、マールブルグ病かエボラ出血熱あたりの症状だよね」

 彼女は写真を動かし、時に別の画像と切り替えながら、見解を述べた。肌の質感や現場に広がった体液の色合いに差はあるものの、あの時見たばあちゃんの姿と、確かに似ているような気はする。

「あなたたちの身体に、こういう症状を引き起こす新種のフィロウイルスか……」

 江辺野さんは顎に手を当てて、必死に考えている。時々忘れそうになるが、こちらが必死に似せているだけで、彼女たちとは全く違う生き物だ。彼女たちの定義からすれば、生き物かどうかも怪しい部類。生殖能力を獲得した、人型の家電に過ぎない。

 演算装置により意識、人格を獲得したために権利が認められ、新たな人として対等な扱いを認められてはいるが、ヒトとして同一の種であるとは言えない。技術の発展により、見た目の差異、生活する上での違いは乗り越えつつあるが、あちらからこちらへの「乗り換え」はまだまだ一方通行。新たな身体を得て生きることは可能だけれど、炭素製の身体へ生まれ直すことはまだ出来ない。

 全く違う生き物を、結果だけ似せて殺戮するウイルス?

「あるいは、どっちも殺せる生物兵器、とか」

 たまたま今までの犠牲者が全てこちら側であっただけで、機械仕掛けの神を気取るアイツが仕込んだ小道具なら、相手を選ばない可能性も十分にある。

「ラムネは未開封だったんだよね?」

 ばあちゃんが死んだ日、自室の引き出しにしまっておいたラムネは、誰にも触れられた様子はなかった。封もラベルも、中の粒も全く変化なし。

「タネも仕掛けもないのに、こんなことができるなんて」

 ノーリスクで思いのままに人を殺せる。物証も残さない。あまりにも都合のいい仕掛けではないか。

「でも、フィロウイルスならもっと死人が出てるよね?」

 僕はタブレットを操作して、マールブルグ病やエボラ出血熱の項目に目を通す。当時の基準でも相当危険な伝染病に分類されている。警察も入念な感染症対策をしていたようにも見えるけど、潜伏期間や感染力もフィロウイルスと同等なら、自分の身に何も起きていない理由が分からない。

「感染力を抑えたのかもね。広がらないように」

「ピンポイントで殺せちゃうウイルス、か」

「筋書きが独りよがりすぎるんじゃない? やり過ぎても面白くならないって」

 何故か、江辺野さんは頬を膨らませている。神を自称する割に、匙加減を誤り過ぎだという印象は、僕にもある。

 大量殺戮は目的ではなく、何か違う意図がある?

 手が混んでいるような、雑なような。真境名の振る舞いからして、そんな回りくどいことをわざわざやる理由が見えてこない。

「自分の仕込みじゃないのかも……」

 僕の呟きに、江辺野さんは首を傾げた。

 現実逃避する時にもやりがちな違和感。世界観と合わない既存の何かを、無理やり取り入れた時に生じる、独特の気持ち悪さ。

「作ったのは真境名じゃなくて、持ち込んだのが真境名だとしたら」

「こんな危ないものを、真境名以外の誰が作るの?」

 江辺野さんの表情が一気に曇る。なんでもアリの舞台装置が既存物、神を自称する男はそれを使うだけという状況は、確かに不気味だ。

 こんな状況を作って、真境名は一体何がしたいんだ? 目的がますます見えなくなる。

 二人で悶々と煮詰まっていると、不意にドアがノックされた。急な物音に、驚いてしまった。ドアがゆっくり押し開けられ、扉の向こうに江辺野さんのお父さんが立っていた。彼は懐中電灯を片手に持っている。

「もうそろそろ、閉めてもいいかな?」

 彼の言葉に、タブレットの時計を確かめた。午後九時に差し掛かっている。引っ張り出した資料とタブレットを元の場所へ片付け、二人揃って小さな資料室を出た。お父さんが鍵を掛けた。

 僕らがいた部屋以外は、廊下も含めて真っ暗だった。構内に点在する非常灯以外の光源がない。お父さんを先頭に、誰もいない廊下を進む。煌々と明かりがついている職員室まで戻ると、宿直の警備員以外の人はいなかった。もう、みんな帰ったあとらしい。

 お父さんは懐中電灯を充電スタンドに戻し、鍵束を所定の位置に戻した。

「遅くまで、すみません」

「いいよ、いいよ。大事な鍵を届けてくれたお礼だから」

 彼は「その代わり、鍵の紛失は内緒にしてくれよ」と口に人差し指を添えた。僕は「もちろんです」と言いながら、彼が指差すところへ真境名から受け取った鍵を掛けた。

「よし、オッケー」

 お父さんは、「さぁ、帰るぞ」と江辺野さんを伴って職員室を出た。宿直の警備員に、「お疲れ様です」と声をかけながら、駐車場へ向かう。

「結局、何の鍵だったんですか?」

「関係者以外立ち入り禁止の、閉架の鍵。あれだけじゃ、入れないんだけどね」

 僕らがさっきまでいた部屋は、あくまでも江辺野さんと縁がある教員の資料室。研究室や大学本体の図書館、書庫は入れなかった。

「取扱注意の資料もあるからね。特別な人でないと入れない」

 図書館の職員でも、特別なパスがないと閉架に通じるクリーンルームにも入れないらしい。クリーンルームの中にある二つの鍵を、二人で同時に開けないと閉架にはたどり着けない、と。

「随分、厳重なんですね」

「情報主義の時代だからね。仕方ないよ」

 駐車場まで来ると、お父さんは先に江辺野さんを車に乗せた。僕は隣に停めた自分の車のドアロックを開ける。

「謎のマーク、秘密の暗号を追いかけるってカッコいいね。オジさんも、何とかコードとか、何十世紀青年とか、夢中になって読んだもんさ」

 お父さんは終始にこやかに言い、「ま、頑張ってよ」と僕の肩を叩いて運転席に乗り込んだ。僕が車に乗るのを見届けると、クラクションを軽く鳴らして、手動運転で駐車場を出て行った。

 僕はシートベルトを締めながら、さっきまでの出来事を整理する。ケータイに通知が届く。別れたばかりの江辺野さんから、URLが送られていた。百科事典のものらしい。エンジンをかける前に、そのページを開く。

「一説によると、『塔』はバベルの塔がモチーフになっているといわれている……」

 バベルの塔なら、ぼんやりと知っている。だから細長い図形と雷の絵なのか。確か、その後、散り散りになったんだよな。そこから、別々の言葉を話すようになった、とか。

 街中に散らばる意匠違いのマーク、警備が異様に厳重な資料室、上層部から介入されて中止になる捜査……。何か、とんでもないことをさせようとしている?

「パンドラの匣を、オレに開けろってか」

 開けた罪を僕になすりつけて、何かを得るつもりなのか。それぐらいなら、真境名本人にでもできるはず。何が目的なのか、さっぱり分からなくなった。次の目ぼしいヒントも見当たらないのに、何かやり遂げることだけは背負わされている。

「あああ、くそっ」

 真境名への不満とイライラが最高潮に達し、僕は目の前のハンドルに、力一杯右手を叩きつけた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。