2231(仮) 第十六話

「あれ?」

 自分達を先導してきた人物に気を張りすぎて、それ以外への注意力が散漫になっていた。図書館の中に入ると、そこには江辺野さんが居た。すぐ側に、彼女のお父さんもいる。彼女は、僕が現れたことに驚いた様子で、さっきの言葉を漏らした。どう返すか迷っている間に、駿は僕より先に中へ入って、「よう」と彼女に挨拶する。

「君だったか。確か、甲斐くん」

 江辺野さんのお父さんが、僕の方を見た。僕は軽く頭を下げて会釈する。駿は、江辺野さんにお父さんを紹介され、「よろしくお願いします」と声を出して挨拶していた。

「閉架に案内して欲しい人がいると申請があってね。本当は教員の同席が必要なんだが、代理で私が指名されちゃって」

 彼は、先日僕が職員室に返却した例の鍵を持っていた。

「クリーンルームに入るパスも、もう持ってるからって」

 彼が言うようなものを、誰かから受け取った覚えはない。状況を整理して説明する前に、彼のペースで事務処理を進められる。学外利用者の利用票と、閉架へ入室するための申請書に、日付と名前を書くように促された。僕の隣で、駿も促されるままペンを走らせている。

 僕はふと顔を上げ、後ろを振り返った。いつの間にいなくなったのか、ここまで連れて来た人物の姿は、そこになかった。ペンを手に持ったまま、入り口からロビーへ戻る。周囲を見回しても、それらしい人物はすぐには見つからない。兎にも角にも、米利刑事に連絡しておかないと。

 ケータイを取り出して、通話履歴を開いた。その瞬間、背後から耳元で囁かれる。

「野暮なアドリブは控えてもらおうか」

 全身に毛穴なるものは無用な身体だが、あまりの不意打ちに鳥肌が立った。無用の長物に思えるそんな機能も再現してあるなんて、日常の中では体験できない感覚だ。どうでもいいことを脳の中で考えながら、なんとか冷静さを取り戻し、声の方を振り返った。

 一瞬の出来事だったのに、怪しい人物は見当たらない。幻聴というにはあまりにもしっかりしていたが、誰もいないなら電話をかけられる。気を取り直し、発信ボタンを押すためにケータイを持ち替える。ブラックアウトした画面に、ベネチアンマスクが映り込む。

「これは警告だ。次も違反すれば」

 映り込んだ人物は、指で銃を作って撃つフリをした。ややあって、マスクに覆われていない口角が上がる。後ろを振り返ると、分厚そうな外套を抱え、ベネチアンマスクを外しているアイツがいた。

 真境名はゆったりとした足取りで、建物の外へ出て行った。僕はケータイを握り締め、そのままポケットにしまった。駿が僕を呼びに来る。

「どうした?」

「いや、別に」

 心拍数が上がり、冷や汗をかいているのを悟られないよう、図書館のカウンターまで戻った。必要書類に記入して、お父さんに書類をチェックしてもらう。彼は僕と駿の書類に、自分の腕時計とカウンターに設置してあった時計とを確かめてから、受付時刻を記入している。

「僕らを連れて来た人、見ましたよね?」

 作業の横から悪いなと思いつつ、質問を投げかけた。彼は手元にペンを走らせながら、「ああ、見たよ」と答えた。

「いつもおいでになる、ここの先生だったけど」

 彼は、「なあ?」と娘に確認する。彼女はその場で頷いた。駿は、「へ〜。変わった趣味の先生がいるんだな」と言う。どうも僕らと、江辺野さん親子の見ていたものが違うらしい。

「そうか。ジャミングだ」

 すっかり失念していたが、周囲の視覚や聴覚に干渉して、フェイクの画像や音声を刷り込ませる技術が随分前に確立されていた。初期はコンタクトレンズやゴーグル、特殊なデバイスが必要だったが、今は仕掛ける側にジャミング装置、機能があれば可能だ。

 一般市民の使用は禁止、許認可制で限定的な使用は認められている機能だが、彼の前では便利なツール、楽しいおもちゃの一つに過ぎない。流石に、なんでもアリが行き過ぎじゃないか? 独りよがりの三流脚本に拍車がかかっている。

「よし、コレでOKだ。じゃあ、行こうか」

 お父さんは、カウンターの一部を跳ね上げ、僕たち三人を中へ誘う。「関係者以外立ち入り禁止」とプレートがかかった扉も、躊躇なく開けてその先へ踏み入っていく。

「江辺野さん、桂花さんはどうしてココに?」

「閉架に入れるって聞いたら、自分も入りたいって懇願されてね」

 お父さんは、僕らの後ろをついてくる江辺野さん、駿の方を見た。二人とも、さっきから妙に仲が良さそうに喋っている。

「彼とは、どういう関係なのかな?」

「僕の腐れ縁というか、幼馴染で。今度の修学旅行で同じグループに」

 お父さんは、「ふーん」と前を向いて道案内に戻った。

「私としては、まだ君の方が良いかな」

「何がですか?」

 彼は僕の顔を見て、曖昧な笑顔を見せた。これ以上は深く突っ込んではいけない気がする。黙って彼の後をついていく。

「さ、着いたぞ」

 図書館のバックヤードめいたところを抜け、サーバルームっぽい部屋の隣へやって来た。厳重そうな扉と、その横に認証キーをタッチするパネルが設置されている。

「それじゃあ、パスをそこに」

 お父さんに促されて思い出したが、それっぽい特別なものは持っていない。一応カバンを開けて、中を確かめてみる。目ぼしいものはやはり見当たらない。後ろから中を覗き込んでいたお父さんは、米利刑事から受け取ったICカードを指差した。

「それじゃないかな」

「いや、そんなはずは……」

 ただの交通系ICカードで、このセキュリティをクリアするはずはない。無理だろうなと確信を持ちながら、ICカードをパネルにかざしてみる。一瞬ピピッと音がすると、さっきまで赤かった小さなランプが緑に変わった。取っ手を握り、奥の方へ体重をかけると扉が動いた。

 ただの交通系ICカードだと思ったけど、どうやらなんらかの身分証、特別な認証キーも兼ねているらしい。裏表をじっくり眺めてみても、ただのICカードにしか見えないのに。

 とりあえず、鞄を持って扉の奥へ入った。大小さまざまなロッカーが左右に並び、金属探知機みたいなゲートの向こうに、もう一枚扉が見える。どうやらあそこから先が閉架らしい。

 お父さんは、手元の資料へ改めて目を通し、必要な箇所を読み上げる。

「中での記録は禁止されているので、通信機器、カメラ等は持ち込めません。ペンとメモは持ち込めますが、書いたメモは最後にチェックされ、不合格の場合は没収されます」

 さっき使ったICカードも、ここのロッカーに入れておいた方が良さそうだ。貴重品も一緒に入れて、鍵をしてしまおう。僕も駿も、ほぼ身一つになる。江辺野さんは、小さなポーチを肩から下げていた。ハンカチやティッシュと言ったものらしい。

 準備ができた人から順番に、ゲートを潜る。二重構造のゲートの中で、強烈な空気を浴びせられた。靴裏もしっかり消毒させられる。

 左右に鍵を差し込む装置がある扉の前に、全員が揃った。江辺野さんのお父さんは、娘さんにもう一つの鍵を渡し、それぞれの端末へ別れた。一本ずつ鍵穴へ挿し、声を掛け合ってタイミングを合わせ、鍵を回した。

 宇宙船のエアロックみたいな扉が、自動的にスライドして開く。光に弱い資料を守るためか、閉架の中は相当暗いようだ。お父さんが先に中へ入り、壁際にあった備え付けの懐中電灯を手に取った。ようやくそれで、少し先の足元の様子が見える。

 同級生三人で顔を見合わせ、誰から行くか、譲り合う。ちょっとしたやり取りの結果、僕から先に中へ入ることになった。最新の注意を払いながら、閉架の中へ入る。足音の反響の具合から、かなり広大な空間が広がっているようだ。そして、内部は少し肌寒い。

 後の二人が来るまで暗闇をじっと眺めていると、少しずつ目が慣れてくる。表の書架も相当な蔵書があるように見えたけど、こことは比べ物にならないようだ。

 ゲームで訪れる秘密の地下施設みたいな雰囲気も感じ取りながら、懐中電灯とお父さんの先導を頼りに、暗闇の世界へ足を踏み入れた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。