2231(仮) 第二五話

「この藤倉っていうのが、真境名のことだとして、隣の女性は?」

 桂花さんは、藤倉の横の人物を指差した。

 藤倉の担当技官、世話係を兼ねた人物のようだが、近くにある他の図や写真と異なり、人物名が添えられていない。前後の文章をチェックすれば名前を特定できそうだが、朝食を食べ終えたばかりの頭では、じっくり読み込むだけの余力は残っていない。

「真境名としての身分証があるってことは、他の誰かに成りすましてるってことだよな? そこまでやってるのに、何で顔は変えなかったんだろう」

 今度は駿が藤倉の写真を見ながら疑問を口にした。

 顔を含めた人体の機械化は撮影当時より進んでいるように思えるが、この写真をパッと見て、元の顔と繋がりを感じる程度の顔は保っている。身分を詐称するなら、人相を変える、顔を作り替えるぐらいはしても良さそうだ。

「他人の空似で変える必要がなかったのか、変えられない理由があったのか」

「変えられない理由って、一体なんだ?」

 桂花さんの意見に、駿が素早く突っ込んだ。本来の真境名という人物と、他人の空似やドッペルゲンガー的なことがあったとしても、そんな奇跡的なことを想定するよりは、変えられない理由を考えた方が答えには近付そうな気がする。

 ただ、今は頭に血が回っていない。深く考えようと思っても、朝食ムードを引きずったままでは上手くいかない。食後の歯磨きと洗顔ぐらいは、改めてやっておきたい。

 食後のコーヒーに手をつけていた空湖さんは、僕らに渡した資料を回収し始めた。

「君らはとりあえず、一回街に戻りなさい」

 空湖さんは、僕らのせいで変に癖がついた資料を整え、自らの傍に置いた。コーヒーをもう一度啜る。

「藤倉の件と、遊川なる人物の件は、私の方でも調べてみよう。あと、甲斐くんにはコレも」

 空湖さんは、名刺サイズの小さな紙を僕に差し出した。二次元コードが印刷されている。どうやら、ウェブサイトのURLか、アプリのダウンロードURLらしい。

「君に渡した地図で閉架まで戻ったら、地図は外へ出る前に廃棄して、ケータイを取り出してから、そのコードを読み込むといい。ココへの出入り口が、いつでも見られる」

「で、おやっさんは?」

 僕が、「へー」と渡された紙の裏表を確かめている間に、駿が空湖さんに尋ねた。

「私はココで残業するよ。夜には帰ると言っておいてくれ」

 後半は、桂花さんに向かって言ったようだ。彼女は、気だるそうに「りょーかい」と返事した。

「じゃあ、解散」

 空湖さんの号令で、僕らは朝食の後始末と、身支度に移った。ココまで面倒を見てくれた彼との別れに、ちょっとだけ寂しい気持ちになった。

「で、コレからどうするんだ?」

 空湖さんに渡された地図を使って、来た時と同じ道を通り、何とか図書館の外に出てきた。学外利用の書類には退館時刻の記入箇所もあったように思うが、事務室はまだ閉まっていて、手の出しようがなかった。僕らが閉館時刻までに外へ出ていないことも、空湖さんが上手くやってくれるだろう。

 表の通路は閉まっていたので、裏の非常口を出た。ケータイで時刻を確かめると、午前七時過ぎ。一般の学生さんにはまだ早いのか、周囲に人はそこまで多くない。まばらに登校してくる先輩方と何度かすれ違いながら、通用門から大学の敷地を出る。

 目の前のバス停にあったベンチに腰掛け、じっくりケータイを見て山のような通知を一つ一つ確認していく。重要そうなのは、米利刑事からの不在通知ぐらいで、あとはウチからの「連絡しろ」の連絡だった。

「とりあえず、家に帰る?」

 僕はまだ早いかなと思いつつ、母さんに向けて電話を架けた。ケータイを耳に当てながら、駿や桂花さんの反応を横目で見る。お父さんと共にいた桂花さんはともかく、駿は特に自宅へ連絡を取る気配もない。

「一晩ぐらい外泊したって、何でもないって。それより、あのおっさんだろ?」

 母さんと電話が繋がったので、駿の話は程々に聞き流す形になる。母さんとのやり取りも、米利刑事が描いたシナリオに乗っかって、適当に返事をするだけなんだけど。もうちょっと外を出歩くと伝え、何か言い返される前に電話を切った。

「グレゴールさん、居るとしたらどこだろう?」

「そりゃあ、やっぱりデカいところじゃないの?」

 駿と桂花さんは、各々でチャルカ教の教会、関連設備の位置を調べている。大阪市内で一番大きそうなのは、靱公園よりちょっと北にある物っぽい。ただ、グレゴール氏がそこにいるとは限らない。

「本部に電話して、聞いちゃえば? アポも取るべきだろうし」

 桂花さんはウェブでチャルカ教の日本支部、一番大きそうなところの連絡先へ辿り着いた。そのまま代表番号へ電話を架けるも、上手く繋いでもらえなかったらしい。いきなりトップへのアポイントメント、直接の通話というのは無理なのか。

 米利刑事は確か、教団の関係者と接触していたんじゃなかったっけ。細いツテではあるけど、門前払いを喰らうよりは可能性がありそうだ。

 一旦閉じた電話を立ち上げ、履歴を表示する。米利刑事の番号に電話を掛けた。

「よう、大将。何の用かな?」

 電話が繋がった。ケータイを耳に当てて会話をしているつもりが、別の角度からも米利刑事の声が聞こえてくる。駿と桂花さんに軽く突かれ、車道を見た。パトカーの助手席に載った米利刑事が、窓から身を乗り出してこちらに向かって手を挙げていた。

 電話を切って、そちらに近付く。運転席ではいつものように、織林刑事がハンドルを握っている。彼は、「まあ、乗れって」と後部座席を示した。バス停の前で、いつまでも停車している訳にもいかない。

 駿を真ん中に座らせ、僕は車道側から後部座席に乗り込んだ。三人だと少々狭い。他の二人が少しでも快適に座れるよう、できるだけ身体を小さくする。行き先を告げる前に、パトカーはゆっくり動き出した。

「朝だっていうのに、随分お疲れじゃないか」

 米利刑事は、ルームミラーでこちらを見ながら言った。そういう彼も、単なる寝不足以上に草臥れているように思える。

「で、どこに向かってるんですか?」

「川口の、チャルカの教会。阿波座から木津川を渡った辺りだ」

 米利刑事は場所を詳しく教えてくれるが、地下鉄の駅までは分かっても、そこから先がピンと来ない。あの辺りの地上を歩く習慣は特にない。

「教団関係者から、君と話がしたいと連絡があってね」

「関係者から?」

「そう。昨日、ヤツに盗みに入られた関係者がいたって話をしただろう?」

 米利刑事の話を聞いて、ぼんやり思い出した。昨日の昼過ぎ、真境名がウチへ来る前に盗難を働いたという、アレの被害者か。

「なぜ、わざわざ警察に?」

「君らと連絡を付けられそうなのが、たまたま俺たちだっただけだろう。市民の皆様の便利屋扱いさ」

 米利刑事は笑ったが、便利屋扱いはまんざらでもなさそうだ。

「話って一体?」

「さあな。相手が誰で、何の話か。行けば分かるってさ」

 米利刑事は最後の方、大きな口を開けて欠伸をしながら言った。随分と大きな欠伸だった。彼は欠伸と共に滲み出た目元の涙を拭うと、窓の外に目をやった。

「なぁ、大丈夫なのか。あの刑事」

 駿が僕に耳打ちをしてきた。真境名の居場所の捜索や、遊川氏の照会など、色んなことを頼んでいるが、実物を見て不安になってきたらしい。駿の向こう側、桂花さんはいつの間にか下を向いて寝ているようだった。

「大丈夫さ。有能だよ」

 時間差で、米利刑事の欠伸が僕にも移った。最後の方は、ふにゃふにゃした物言いになる。駿は肩をすくめ、「本当に大丈夫か?」と言わんばかりに、不安そうな表情を浮かべていた。

初稿: 改稿:
仮面ライター 長谷川 雄治
2013年から仮面ライターとしてWeb制作に従事。
アマチュアの物書きとして、執筆活動のほか、言語や人間社会、記号論を理系、文系の両方の立場から考えるのも最近の趣味。